『シャコーグレイド』


  このエッセイは、私「へなちょこんSG」の「SG」の部分「ShakoGrade」という競走馬に対する私の想いを、勝手気ままに綴っています。


  平成4年1月・・・
  あの感動的だったオグリのラストランからはや1ヶ月。
  有馬記念と同じ中山を舞台にG2を逃げ切った馬がいた。
  トウショウファルコ。
  その金色の馬体は美しかったと記憶している。 
  そして2着は・・・

シャコーグレイド 牡 黒鹿毛
  父ミスターシービー、母シュアンス

  当時千葉県在住だった私は、G1のある日に限り錦糸町のWINSに出かけ馬券を買っていた。
  G1以外のレースには見向きもしなかった私がAJC杯をTV観戦したのは本当に偶然である。

  スーパー競馬の面々(井崎脩五郎や大川慶次郎などの豪華メンバー!)がAJC杯のレース回顧を行う中で鈴木淑子さんがシャコーグレイドにこんなコメントを残した。

  私はこのコメントを一生忘れない。

  「いつかは重賞を勝てる馬ですね」

  競馬というものをよく知らなかったウブな私はそのコメントを頭から信じた。
  そしてこう考えた。

  「シャコーグレイドはそのうち重賞を勝つんだ」
  「それならば勝利の瞬間を見てやろう」


  今にして思えば、この時が私の人生の岐路だったはずだ。
  鈴木淑子さんのコメントさえ聞いていなければ今ごろ競馬じゃなく別の何かを趣味にしていたかもしれないのだから。
  「私の人生は鈴木淑子さんに変えられた」とも言える。
  もちろん当人はそんなこと露ほども思っていないだろうが。

  以降私はシャコーグレイドの出るレースを見るようになった。

  目黒記念・・・ヤマニングローバルの4着。
  日経賞・・・メジロライアンの3着。
  エイプリルS・・・グレイトウェーブの2着。

  目黒記念や日経賞はともかく、エイプリルSで格下のハズのグレイトウェーブに逃げ切りを許してから「なんかおかしい」と思うようになった。

  「重賞を勝つんじゃなかったの?」
  「なんでOP特別くらい勝てないの?」

  しかしその後もシャコーグレイドの惜敗は続いていく。

  決して弱い馬ではないハズだ。
  いつもいつも勝てそうなのに勝てないだけだ。
  ならば「なんとか勝たせてやりたい」という心情になるのは私にとっては至極当然のことだった。
  ナイスネイチャやロイスアンドロイス、ステイゴールドなどのいわゆる「善戦マン」に対し沸き起こるあの心情である。

  「勝たせてやりたい」
  そんな気持ちが頂点に達したのは5歳秋のAR共和国杯だった。
  ミナミノアカリに届かず2着。

  またも勝てそうで勝てない。

  シャコーグレイドに感情移入すると同時に、競馬にも深く興味が湧き始めていた。
  スーパー競馬を毎週見るようになり、競馬雑誌も購読するようになったのがその証拠だ。
  おかげでどんどん競馬に詳しくなっていった。

  そんな中、シャコーグレイドは私の競馬ライフの中で必要不可欠の存在になっていた。

  彼がレースに出走する度「今度こそ勝てるかもしれない・・・」
  そう思うとやたら「ドキドキ」したものだ。
  「ワクワク」に近い「ドキドキ」だ。
  「ハラハラ」も多少含まれるが。

  この「ドキドキ」感は私にとって非常に心地よかった。
  例えるなら「プロ野球でひいきのチームの日本シリーズ第7戦を観戦している時」のような「ドキドキ」だろうか。
  あるいは「サッカー日本代表がW杯初出場を決めたあのイラン戦を観戦している時」のような「ドキドキ」か。

  本来なら、そうそう味わうことの出来ないであろう「ドキドキ」感を私はシャコーグレイドが出走する度に味わうことが出来たのだ。

  心の底から競馬観戦を楽しんでいたと思う。
  例え勝てなくても。

  「いつかは勝てるだろう」と信じていたから。

  6歳春。
  彼は重賞制覇の最大のチャンスを得ていた。
  新潟大賞典。
  シャコーグレイドは三番人気ながら、ひ弱さの抜けきらない一番人気セキテイリュウオー、復帰後全くふるわない二番人気ツインターボが相手なら勝算は十分あると思われた。

  その日私は錦糸町WINSにいた。
  彼の単勝馬券(500円)を握り締めて。

  直線入り口で彼は先頭に立った。
  「!!??」
  驚いた。いわゆる「横綱相撲」というヤツだ。
  いつも差して届かずのはずの彼がこんな競馬を見せるとは。
  後続との差が3馬身ほどに広がる。
  「よし、勝てるっ!」
  半狂乱な状態ながら、私は彼の勝利を確信していた。

  が、
  ラスト1ハロンで急に失速。
  猛然とハシノケンシロウとナリタチカラが追い込んでくる!

  3頭は鼻面を並べて入線した。
  写真判定だったが、わずかにハシノケンシロウが出ているように見える。
  ほどなく確定。

  1着ハシノケンシロウ。
  2着シャコーグレイド。
  3着ナリタチカラ。

  悔しさを通り越して脱力した私の隣でレースを見ていた変なオヤジがボソッとつぶやく。
  「さすがはシャコーグレイドだよなぁ」
  私はため息をつきながら小さくうなづいた。

 ◆

  彼は3歳時の500万特別を勝って以来、白星を積み上げることなく7歳になった。
  その年の10月。
  府中芝2400M「東京スポーツ杯」OP特別で彼はついに3勝目を挙げる。
  約4年ぶりの勝利。
  メンバーは弱かったが、その勝ちっぷりは見事だった。
  私はTV観戦ながら、その勝利に狂喜した。
  「もう勝つ事はないかもしれない」とあきらめかけていたから。

  翌日、私はスポーツ新聞を何紙か買った。
  彼の勝利の記事を見ることで喜びを噛み締めたかったのだ。 

  ところが、
  翌日のスポーツ新聞には、どこも次のようなニュアンスで彼の勝利を伝えていた。

  「シャコーグレイド、約4年ぶりの勝利でトウカイテイオーの引退の花道を飾る」

  一見何の変哲もない記事だ。
  しかし、私にとっては違った。

  「冗談じゃないっ!」
  「あれは彼自身の勝利だっ!」
  「トウカイテイオーのために勝ったんじゃないっ!!」


  私にはシャコーグレイドの勝利が、トウカイテイオーの引退式を引き立てる、ただの添え物扱いになっているように感じられたのだ。

  確かにその日はトウカイテイオーの引退式が行われたが、それと彼の勝利とは本来無関係だ。

  しかし、この2頭には皐月賞で「ルドルフの仔とシービーの仔のワンツーフィニッシュ」というエピソードがある。

  新聞側としては当然なのだ。
  トウカイテイオーを絡めた方がよりドラマチックな記事になるのだから。
  その理屈はわかる、が・・・

  出来ることなら、平成12年の目黒記念を勝ったステイゴールドの時のように、多くのファンに祝福されるような記事であって欲しかった。

  たまたまテイオーの引退式の日に勝ってしまったばかりに彼の勝利が添え物扱いされてしまったのは、あまりに悲しくて、あまりにやるせない。

  シャコーグレイドを愛した者の偽らざる本音だ。

  翌年、彼は8歳馬となり力の衰えも顕著になった。

  「もう彼が勝つ事はないだろう」
  そう思うと、以前のように「ドキドキ」感を感じることもなくなった。
  「勝てるかもしれない」
  そう思えたからこそ、あの「ドキドキ」感を感じることが出来たのだ

  私の彼に対する興味は、なくなりこそしなかったが確実に衰えていった。

  そして実際に彼は着外に負け続けていった。

  8歳秋。
  通勤電車の車内で私は東京スポーツ紙のある記事を目にした。

  「シャコーグレイド引退」

  比較的大きくスペースを割いた記事だった。
  社杯である東京スポーツ杯の勝ち馬だからだろう。

  その記事を見た瞬間、涙があふれてきてどうしようもなかった。
  人目をはばかりながら私は泣いた。

  とても大切な何かを失った気持ち。
  かけがえのない誰かを失った気持ち。
  親や恋人、
  そんな大切な人が死んでしまった時の悲しい気持ちとオーバーラップさせていたんだろう。

  競走馬としての彼にはもう会えない。
  もう彼がレースを走る姿を見ることは出来ない。

  涙が止まらなかった。

  記事はこう締められていた。

  「福島競馬場で誘導馬になる」

  福島に行けば会えるのだ。
  ならば、いずれ福島競馬場に行ってみたい。
  彼に会ってみたい。

  おそらく泣くと思う。

  それでいい、とも私は思う。



  あとがき

  まず最初にあやまります。
  長文ですいませんm(_ _)m

  もともとこんなに長くなるハズじゃなかったんですが、「想いをうまく伝えたい」という一心でやたら長くなっちゃいました。
  これも作文技術のなさ故ですのでお目こぼしの程を。

  そんな長文駄文を最後まで読んでくださった皆様が私の「シャコーグレイドに対する愛情」「東スポ杯勝利時の報道に対するやるせなさ」「引退のニュースを見た時の悲しさ」を多少でも感じていただけたなら、これに勝る幸せはないと断言出来ます。

  最後まで読んでいただき本当にありがとうございましたm(_ _)m



  以下2001年3月14日加筆。
  シャコーグレイドは福島競馬場の誘導馬をお役御免になり、静岡県のつま恋乗馬クラブに移りました。
  名馬の余生を過ごす場所として非常に良い環境ですので、きっと幸せに暮らしていることと思います。
  必ず会いに行くからね・・・。


  以下2001年5月13日加筆。
  つま恋ホースパークにてシャコーグレイドに会ってきました。
  その時の模様はこちら


  以下2005年2月7日加筆。
  2004年2月19日、シャコーグレイドはつま恋ホースパークから「八ヶ岳ライディングファーム(山梨県)」に移動しました。
  オーナーのご夫人がシャコーグレイドの大ファンだったということで、つま恋にお願いして譲っていただいたとのことです。
  「最後まで絶対手放さない」とおっしゃっていたそうなので、きっと幸せに暮らしていることでしょう・・・(^^)
  いつか必ず会いに行きたい・・・そう思っています。


  以下2005年4月13日加筆。
  とても親切な方に「1993年の新潟大賞典の一番人気はシャコーグレイドではないはず」とのご指摘をいただき、私の記憶違いが発覚したため修正加筆しました。
  併せて、シャコーグレイドが東京スポーツ杯を勝った時の東京スポーツ紙面のスキャンまでいただきました。(謹んでUPさせていただきます
  本当にありがとうございましたm(_ _)m
  (シャコーグレイドのファンに悪い人はいませんね(^^;)



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